千葉県鴨川市 南房総 天津小湊のお寺。 真言宗智山派 宝蔵山海福寺。法要や祈願、ペット・人形・針などのご供養、一代・合祀・ペット墓地など承ります。

由縁

 室町時代初期の応永4年(1397)の創建と伝えられる法蔵山海福寺が、昭和45年に近隣にあった同宗同派の久光山吉祥院、東光山宝泉寺、普光山持明院の3ヵ寺と合併し、山号を宝蔵山と改めて新たなお寺として誕生しました。

旧海福寺は、江戸時代初期の正保4年(1647)に、徳川家から清澄寺を賜った頼勢法印によって中興され、旧天津村の正蓮坊、弁天堂、地蔵堂(現大師堂)を管理していましたが、文政7年(1824)の天津村大火によって、ご本尊こそ救い出したものの、吉祥院及び宝泉寺と共に堂宇のほとんどを焼失してしまいました。
その後、3ヵ寺の建物は再建されたものの、寺歴を語る史料がなく、持明院もまた長く無住の時代があったことから、開創や中興の時期、江戸期の様子は、本寺にあたる勝福寺(市内川代)史料などによって知るだけとなっています。

ご本堂には、ご本尊の阿弥陀如来三尊像をはじめ、長狭観音札所のご本尊で鴨川市の指定文化財になっている千手観世音菩薩、安房国地蔵札所のご本尊である地蔵菩薩、天津浦に漂着し地元の漁師が祀ったといわれる不動明王など、多くのご尊像を奉安しています。
境内には、庚申塔、宝篋印塔、筆子塚、大乗妙典塔、廻国供養塔など、歴史を語る石造物が点在し、100株、10数種を数える木槿(ムクゲ)を始め、梅、牡丹など、四季折々の花が咲いています。

霊場札所

霊場札所

 海福寺は、次の霊場札所になっています。

安房国八十八ヵ所弘法大師霊場

安房国八十八ヵ所弘法大師霊場

  真言宗の開祖、弘法大師空海上人の霊跡をたどる「四国遍路八十八ヵ所」を安房の地に写したもので、南房総市白浜の紫雲寺を第1番とし、全行程約200qの霊場で、海福寺は第48番札所となっています。

 大正2年の『案内記』によると、「天正10年(1582)に紫雲寺の頼長上人によって四国八十八ヵ所が写された。」とあり、昭和9年の『順礼記』には「元文、弘化の頃に遍路巡礼記が刊行された。」と記されています。

 昭和59年10月に弘法大師1150年御遠忌を記念して、真言宗智山派寺院によってご開帳が行われました。

安房国百八ヵ所地蔵霊場

  鴨川市の生まれで、真言宗智山派の総本山、京都智積院の第43世となった金剛宥性上人が明治5年に定めた札所で、海福寺は第52番札所となっています。

  ご本尊の地蔵菩薩像は、室町期の作で秘仏とされ、本堂の前庭にある六地蔵が「お前立」の代わりと伝えられていましたが、その六地蔵も江戸期に建立されてから長年の風雨によって損耗が進んでいたため、平成5年のご開帳を記念して再建しました。

  宥性上人が発起人となり製作した、ご詠歌を刻んだ扁額が伝わっています。

ご詠歌 「天津風 この浦舟に 帆をあげて 入り来る御代と なるぞうれしき」

長狭三十三観音霊場

西国三十三観音霊場を写した札所で、鎌倉時代に成立したとされる安房観音霊場が定着し、観音信仰が広まった江戸初期に、長狭平野に新たに設けられた霊場です。海福寺は第8番札所。

ご本尊の千手観世音菩薩像は室町期の作。12年に一度、丑の年にご開帳される秘仏で、鴨川市の指定文化財になっています。

ご詠歌 「吉祥寺 遥かに沖を 眺むれば 救世の船を いだす海人」

安房国三十六ヵ所不動霊場

霊場成立を示す史料などは確認されていませんが、真言宗寺院の多い安房地方では不動信仰が盛んであったため、不動明王の眷属である三十六童子にちなんで、三十六ヵ所の札所霊場が成立しました。海福寺は第14番札所です。

ご詠歌 「罪科の 重き軽きも 天津風 誓いの舟の 頼もしきかな」